【自然体の建築】
規模を問わず建築物が大地に建ち上がるとき、周縁の環境に影響を及ぼす。各の建築物が主張すれば混沌とした街並みを形成する。 規格化し、画一的で場所性のない建築物が建ち並べば無味乾燥な街並みを形成する。
建築物を具現化することは服飾や工業製品のように気の向くまま容易に買い替え、取り替えられるものではない。殆んどの施主(依頼主)にとっては生涯でも数少ない大事業の一つだ。 設計者は場所(土地)、環境(景観)、歴史(時間)などに配慮し、読み解き、慎重に考え提案する社会的責任がある。
時世粧に捕らわれず時間と共に消費されない建築。身体で感じ、心に届くような空間を創造し続けたい。 生活に深く根ざした分野だからこそ人心を等閑にするようなものは創る意味がないだけでなく、貴重なエネルギーの無駄遣いに過ぎない。
【自然からの警鐘】
近年、顕在化してきた地球環境問題は経済成長期には包み隠され等閑視し、問題を先送りしてきた結果招いた必然といえる。 社会の成熟と共に炙り出され、膾炙するに至った今日では一人一人に重く受け留められ始めている。
建築物を創り続けてきた私たち建築関係者が担う役割も大きい。石油由来の人工建材を大量に生み出し、スクラップ-アンド-ビルドを続けてきた時代とは決別し、 できる限り地球に負荷を掛けない資材や工法、技術で継続使用し、消費するだけの社会から移行する時代に入った。
建築物を存続させることは資源乱用の抑制は勿論、建築物自体に炭素を固定し、温暖化の一因とされている大気中の窒素酸化物や二酸化炭素などを削減する効果も期待できる。 特に木造建築物では計画的に山林資源を使い、適切に管理して行けば自ずと山林の復興も促進されその効果は大きいだろう。
人間原理の思考は他の生命、更には地球さえも顧みない行動に陥る。地球上に生ける一生物として見下ろす目線では自然界の機微に気付くことはできない。 眼を向け、耳を澄まし、慮る謙虚さがより一層私たち人間に求められている時代であろう。
【手間隙を掛ける】
永く使い続けるには将来を見込んだ建築計画が必要となる。 ライフスタイル、家族や社会情勢の移ろいに対する柔軟性を考慮し、多様な要請、制約のなか様々な検討を重ね、可能性を追求し提案せねばならない。
本来、建築物は竣工時が完結ではなく、磨き、繕い、付け足し、差し引き、時間と共に手を掛けながら育て(築き)上げて行くものです。 このような【手入れ】は昔から日常的に行われてきた習慣であり考え方です。しかしながら現在ではそうした意識が希薄になっていることも事実。 だからと言って昔の生活に戻るのではなく、先人の理に適った考え方を再考する機運になればと思うのです。
想いが籠められた手作りの料理が美味しいように建築物もそうあってほしい。共に生きるパートナーとして。
11oct2004